2024年4月30日火曜日

一粒400円のイチゴを求め徳島県佐那河内村へ【ももいちご事件 50条・社会通念上同一の商標】


 商標弁理士のT.T.です。
 4月の第一週、創英では毎年恒例の「花見会」が、白金台の八芳園で開催されました。花見会とはいいつつも、例年この時期になると花びらもほぼ散った侘しい感じになってしまいますが、今年は7年ぶりの遅咲きにより、八芳園から満開の桜を眺められ、花見会らしい会となりました。
(写真:八芳園の満開の桜)
 さて、と言って思い浮かぶのが「さくらももいちご」という高級イチゴで、これにまつわる商標事件を「ももいちご事件」といいます。 

 「ももいちご事件」(知財高裁 平成23(行ケ)10243)とは、徳島県佐那河内村(さなごうちそん)産のイチゴを「ももいちご」と名付け、平仮名と漢字の二段併記からなる登録4323578号「ももいちご\百壱五」(31類 いちご)として商標登録をしていたところ、不使用取消審判を請求されたため、登録商標と社会通念上同一の商標が使用されている等が争われた事件です。 

登録4323578

 審判(取消2010-300840)では、使用証拠の一つとして、イチゴの包装箱側面や、大阪梅田・阪神百貨店の青果店「フルーツキングミズノ」の商品タグにて、最も上に「佐那河内の」「ももいちご」の二段書きが大きく表記され、その下に小さく「登録第4323578号」「平成10年商標登録願第30450号」の二段書きが表記され、さらにその右側にとても小さく「百壱五」が表記された使用商標が提出されました。しかし、審決では、当該証拠からは審判請求の登録前3年以内に使用していたと認めるに足りる証拠は見いだせないとして、最終的に登録4323578号「ももいちご\百壱五」は取消となってしまいました。 

(使用証拠)

 しかし、その審決取消訴訟で、知財高裁は、本件商標の通常使用権者「フルーツキングミズノ(梅田店)」が、審判請求登録日(2010816日)前3年以内の2007年~2009年の各1231日に、上記「ももいちご」の商品タグを使用していたことを認定したうえで、登録商標と社会通念上同一の商標が使用されているかについては、次のとおり認定しました。 

  1. 使用商標の「佐那河内の」「ももいちご」「登録第4323578号」「平成10年商標登録願第30450号」「百壱五」の各部分は、いずれも自他商品識別力が非常に小さい。
  2. 登録4323578号「ももいちご\百壱五」の「百壱五」の部分は、登録要件を充足するために付加されたものであり、「ももいちご」と一応読み得るものであり、何らかの「いちご」との観念も生じ得ることから、平仮名「ももいちご」を補足する部分である。
  3. 「ももいちご」「百壱五」の両方の文言が、文字の変更や欠落などなく、共に用いられていれば、字体や字の大きさに違いがあるとしても、本件商標を表す「登録第4323578号」「平成10年商標登録願第30450号」も表示されていることも併せ考慮すると、社会通念上、本件商標と同一の商標が使用されていると解する。
  4. 百壱五」の文字が小さいとしても、判読できないほど小さいわけではない。

 したがって、登録4323578号「ももいちご\百壱五」と社会通念上同一の商標が、審判請求の登録前3年以内に、その指定商品「いちご」について通常使用権者によって現に使用されていることから、審決は取り消されました(登録維持)。

 ところで、冒頭の「さくらももいちご」は、「ももいちご事件」の「ももいちご」とは、同じ佐那河内村産ではあるものの、品種も全く異なるイチゴとなります。「ももいちご」は、その名の通り、桃のように柔らかいイチゴなのが由来ですが、非常にデリケートで、商品としては少々扱いづらかったため、姉妹ブランドとして、もう少し実が固めの「さくらももいちご」が登場したとのことです(なお、「ももいちご」は現在生産されていない。)。

(写真:さくらももいちご)

 「さくらももいちご」の名前の由来は、別に佐那河内村が桜の名所だったからではなく、佐那河内村産イチゴとして元々周知性のあった「ももいちご」と、日本人にプラスイメージを印象・記憶・連想させる「さくら(桜)」結合することで、売れるネーミング目指したのが真相とのことで、いかにも商標らしい由来で興味深いですね。 

 そんな「さくらももいちご」も、使用証拠となった青果店「フルーツキングミズノ」(現在は「もぎたて果実 MIZUNO」へ商号を変更)により、大阪梅田・阪神百貨店のデパ地下で売られていました。ただし、阪神百貨店の「さくらももいちご」は、デパ地下仕様の贈答品ということで、イチゴ24粒が化粧箱に詰め込まれ、しかも、一粒一粒が個包装されているため、お値段なんと1万円強。単純計算でイチゴ一粒400円強です。

(写真:「フルーツキングミズノ」こと「もぎたて果実 MIZUNO」)
 

 近年、コンプライアンス意識強化の世論により、会社でお土産を配る風習も廃れつつある感じがしますが、T.T.は時代に逆らって「商標事件に関する」お土産を所内で配り続けています(逆に言えば、商標事件に無関係なスポットへ旅行してもお土産は絶対配らん。)。それは、チヤホヤされたいのも0.5割くらいありつつも、やはり、事件の現物を渡すことで、商標法について啓蒙することが、弁理士としての責務と感じることが大きいように思われます。なお、弁理士法上はそのような責務は規定されていない。 

 しかし、いくらお人好しのT.T.であっても、一粒400円するものを配るというのは、流石に躊躇します。ということで、「さくらももいちご」をより安く入手するために、大阪から電車とフェリーを乗り継ぎ、徳島駅から路線バスで45分かけて、佐那河内村へやって来ました。

(写真:佐那河内村のバス停)

 「さくらももいちご」は、佐那河内村の「JAふるさと農産物直売所」で購入することができ、一箱36粒入り(1パック9×4)で3120でした。直売所で購入すると一粒100円を切るので大変お得に思えます。ただし、大阪から佐那河内村への往復にかかった金額は11500(電車代4820円(青春18きっぷ2日分)、フェリー代2500円、路線バス代1410円、宿代2770円)ということで、果たして、「フルーツキングミズノ」で買うよりお得だったのでしょうか?

(写真:JAふるさと農産物直売所)

 

 いいえ、本当に大事なのは、価格の損得ではなく、思い出です。村では、園瀬川に沿ってビニールハウスが点在しており、ハウスで育つ実物の「さくらももいちご」を眺められる経験は、都会のデパ地下では味わえないことでしょう。また、私が訪れた時期がちょうど桜の時期だったので、村の満開の桜でも眺めながら、自分用に買った「さくらももいちご」を嗜む風情も味わえたと思います。

(写真:さくらももいちごのビニルハウス)

(写真:佐那河内村の桜)

 直売所で購入する際は、キャッシュレス未対応のため、いくら価格が安いからと調子に乗ってホイホイ買ってしまうのは注意が必要です。私も、「さくらももいちご」以外にも、「さくらももいちご大福」や「さくらももいちごジャム」をつい買ってしまい、気が付いたら、財布の現金が残り600円になってしまいました。佐那河内村から徳島駅まで路線バス代は600円(交通系IC未対応)なので、危うく、佐那河内村から脱出できなくなりそうでした。

(写真:さくらももいちご・ジャム・大福)
(T.T.)



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2024年4月1日月曜日

1万円するステーキランチを食べてきました【EMPIRE STEAK HOUSE事件 結合商標の類否】

 商標弁理士のT.T.です。
 さて、4月になったということで、私の弁理士歴もまた一つ歳を重ねました。歳を重ねると、肉が食えなくなってくるとはいいますが、ステーキにまつわる商標事件、「EMPIRE STEAK HOUSE事件」は早めに攻略した方がいい事件の一つでしょう。 

 「EMPIRE STEAK HOUSE事件」(令和4(行ケ)10087)とは、原告(アールジェイジェイ レストラン エルエルシー)が、「43類 ステーキ料理の提供等」を指定役務とした、左向き牛の全身を表した図形と「EMPIRE STEAK HOUSE」の文字の二段併記からなる商標(商願2018-4441)を出願したところ、登録5848647号「EMPIRE(標準文字)」と類似し、商標法4111号に該当すると判断されたことから、拒絶審決となったため、結合商標の類否について審決取消訴訟で争われた事件です。 

商願2018-4441

 知財高裁は、商願2018-4441について、下記の理由により、「EMPIRE」の文字部分が、需要者等に対して自他役務の識別標識として強く支配的な印象を与えるといえるから、商標の要部であるとして、登録5848647号「EMPIRE(標準文字)」と類似すると判断し(商標法4111号)、商標登録を認めませんでした。

  1. 牛の図形部分は、「ステーキ料理の提供」との関係において、食材が牛であるという印象を与えるに過ぎず、実際に、牛肉に関連した料理を提供する店舗では、食材である牛の全身又は一部をモチーフとした図形を用いる例が見受けられ、広く一般に行われているため、自他役務識別機能を有しない又は極めて弱い。
  2. EMPIRE STEAK HOUSE」の「EMPIRE」の文字は、我が国において「帝国」の意味が容易に理解される親しまれた語で、指定役務について、役務の提供の場所等と関連性を有することは想定できないから、自他役務識別機能が強い。
  3. EMPIRE STEAK HOUSE」の「STEAK HOUSE」の文字は、「ステーキ専門店」を意味する英語で、飲食物の提供の一業態を示すものとして一般に用いられ「ステーキの料理の提供」を行う業界において普通に用いられていることから、役務の提供の場所、質を意味するとして、自他役務機能を有しない又は極めて弱い。
  4. 実際の取引において、「STEAK HOUSE」又は「ステーキハウス」を含むステーキ料理の提供を行う店舗名が、STEAK HOUSE」又は「ステーキハウス」の文字部分を除いて略称される例が見受けられる。
  5. EMPIRE STEAK HOUSE」に外観上まとまりがあって一体的であろうと、称呼がよどみなく一連に称呼できるものであるとしても、ステーキ料理の需要者がどの料理店を選択するかに当たっては、「STEAK HOUSE」の部分は選択に当たって何ら必要な情報を与えるものではないから、需要者が着目するのは「EMPIREの部分である。

 原告の「EMPIRE STEAK HOUSE」は、引用商標権者とライセンス契約を行ったためか、今でも六本木で営業しています。ニューヨークスタイルのステーキが提供されるとのことや、六本木という土地柄から見て、カジュアルそうに思えて、一応、ドレスコードはスマートカジュアルのため、休日のお昼時だというのに、スーツでバシッと決めて来ました。

(写真:EMPIRE STEAK HOUSE
 

 事前に仕入れた情報では、ステーキランチコースは7800円と聞いていたのですが、それは平日限定であり、休日では特別ランチコースということで、9800になります。これに「クランベリージュース」(700円)を加えたので、1万円を超えました。T.T.の普段の昼食代が700円くらいなので、単純計算で15倍です。 

 しかし、1万円超のサービス料は、その期待を裏切りません。ラグジュアリーな感じの内装や、妙に落ち着いたウェイターによる行き届いた接客は、まさに私を「皇帝」だと錯覚させるのでした。
(写真:高級感漂う席)

 もちろん忘れてはならない、メインディッシュの「プライムニューヨークサーロインステーキ」は、アブラ少なめの熟成肉が、外側はカリっと焼き上げられた一方で、中側の柔らかさがナイフを通しても伝わります。何も加えず肉そのものの旨味をそのまま楽しむこともできますが、EMPIRE STEAK HOUSE」オリジナルステーキソースで味変もできます。ステーキソースといえば、茶色系が一般的なように思いますが、オリジナルステーキソースは赤く、トマト+生ワサビ+ビネガーをブレンドした甘みを楽しむことができ、ニューヨーカーが好みそうなところに、ニューヨークスタイルとしてのプライドが垣間見えました。
(写真:プライムニューヨークサーロインステーキ)
 ということで、「EMPIRE STEAK HOUSE」は、結合商標の類否の勉強だけでなく、何か特別な日のための予習にもなった気がして、いつか来るであろう特別な日にまた来てみたいと思いました。嗚呼、商標事件の聖地巡礼も自分にとっては特別な日か。

 ちなみに、六本木はステーキ屋の聖地らしく、周辺を歩いていると、「ステーキハウスハマ」「BENJAMIN STEAK HOUSE」「37 Steakhouse & Ber」「ウルフギャング・ステーキハウス」「ステーキハウスオークドア」といった、「Steak House(ステーキハウス)」を名称の一部に含む飲食店が複数あり、やはり、「STEAK HOUSE」は、「43類 ステーキ料理の提供」との関係で、自他役務識別力が弱いことが窺えました。
(写真:ステーキハウスハマ

(写真:BENJAMIN STEAK HOUSE

(写真:37 Steakhouse & Ber

(写真:ウルフギャング・ステーキハウス

(写真:ステーキハウスオークドア

 一方の、引用商標の登録5848647号「EMPIRE(標準文字)」を使用しているのは、長野県上田市にある「NEWYORK STYLE DINING BAR EMPIRE」という店(2013年開業)で、何と偶然なのかニューヨークスタイルのステーキを提供し、また、石窯によるナポリのピザも提供しています。ここでも、店頭に「左向き牛の全身を表した図形」が用いられており、やはり、商願2018-4441の「左向き牛の全身を表した図形」は、「43類 ステーキ料理の提供」との関係で、自他役務識別力が弱いことが窺えます。
(写真:NEWYORK STYLE DINING BAR EMPIRE

 ところで、上田市の「EMPIRE」は、結構な人気店らしく、当日来たら、予約で一杯ということで入店ができませんでした。つまり、わざわざ長野県上田市まで行って、何もせずノコノコ帰ってきました。
 長野県上田市といえば、戦国大名・真田氏の居城「上田城」があり、二度にわたる「上田合戦」(第一次:1585年、第二次:1600年)では、攻めて来た徳川の大軍をノコノコ撤退させたことで知られる名城です。図らずも、令和の世において、T.T.は上田合戦を再現してしまったようです。

(写真:上田城)

T.T.


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2024年2月5日月曜日

廻らないシースーで“登録商標”の「招福巻」を食べてみた【招福巻事件・普通名称化】

 

 商標弁理士のT.T.です。
 創英では毎年、所員みんなで恵方巻を食べるイベントがあり、今年も、2024年の恵方「東北東」を見つめながら、所員同士仲良く交流できたと思います。


 さて、恵方巻といえば、有名な商標権侵害訴訟事件「招福巻事件」というのがあります。

 「招福巻事件」(平成20()2836)とは、イオン株式会社(被告)が全国の「ジャスコ」で、「十二単の招福巻」という恵方巻を販売していたところ、登録2033007号「招福巻」(第30類 すし等)の商標権者・株式会社小鯛雀鮨鮨萬(原告)から、商標権侵害で訴えられた事件です。

(原告の登録2033007
 

 第一審では、商標権侵害が認定され、原告が勝訴しました(平成19()7660)。
 しかしながら、控訴審で大阪高裁は、①「招福巻」の語は、節分の日に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶりする風習の普及とも相まって、極めて容易に節分をはじめとする目出度い行事等に供される巻き寿司を意味すると理解され、②2004年の時点でダイエーのチラシで「招福巻」が掲載され、2005年以降は極めて多くのスーパーマーケット等で「招福巻」が販売され、「招福」の語も辞書に掲載されて2004年時点で普通名称化していたといった理由から、「招福巻」は、巻き寿司の一態様を示す商品名として、遅くとも2005年には普通名称となっていたと認定しました。

 したがって、被告の販売する「十二単の招福巻」の「招福巻」部分については、商品の普通名称を普通に用いられる方法で表示する商標に該当し(商標法2612号)、商標権の効力が及ばないことから、商標権侵害に当たらないと判断されました。

  ということで、創英で恵方巻を食べたばかりですが、間髪入れず、原告の廻らない寿司屋「すし萬」に登録2033007号「招福巻」を食べに来ました。恵方巻シーズンは21日~3日で、すぐ終わってしまいますからね。
 「すし萬」は、1653年に大阪で創業した老舗ということで、本来ならば、大阪の本店へ行き、元祖の味を堪能すべきだったかもしれません。ところが先日、商標の歴史を探訪するため京都に行ったばかりで、再度関西地方まで行く気力がなかったので、渋谷西武デパートの「すし萬」にしました。

(写真:渋谷西武の「すし萬」)

 「招福巻」(税抜1300円)は、七福神に因んで国産米・厚焼き玉子・三つ葉・干瓢・椎茸・海老おぼろ・海苔の7食材から作られ、海苔は今宮戎神社で祈祷した、ゲンにゲンを担いだ恵方巻です。創英で食べた恵方巻よりもやや小ぶりに感じましたが、美味しくいただきました。個人的に、三つ葉が良い味出していて好みでした。特に深い意味はありませんが、三つ葉には縁結びの意味があるようです。
 ちなみに、粋なサービスとして、方位磁石も置いてくれます。

(写真:招福巻)


 ところで、「すし萬」では、事件になった「招福巻」の他に、「来福巻」という恵方巻も売られており、お腹に少々余裕があったので、追加注文しました。 

(写真:来福巻と招福巻)

 「来福巻」は、招福巻では「干瓢」と「海老おぼろ」だった具材が、「鰻」と「海老」に代わり、香ばしさやプリプリ食感が招福巻よりも増しています。その分、来福巻の値段は税抜2500円と、招福巻(税抜1300円)の約2倍増しですが。

(写真:来福巻)

 もちろん、「来福巻」も、株式会社小鯛雀鮨鮨萬により商標登録されています(登録4707835、第30類 すし,べんとう)。
 てっきり「来福巻」とは、「招福巻事件」での教訓を活かし、普通名称化していない寿司名の開発に迫られ、登場したものだと思っていましたが、違うようです。登録4707835号「来福巻」は、招福巻事件(控訴審)の判決日、2010122日よりもはるか昔、2003130日に出願されていました(登録日は200395日)。

登録4707835

 ちなみに、「来福巻」の使用例は、調べた限り、「すし萬」の2しかなく、普通名称化までには至っていないように見受けられます。もしかしたら、見えないところで「すし萬」が「来福巻」の普通名称化防止の努力をしているのかもしれません。

 

 そんな訳で、創英の所員交流イベントの他に、(判決研究とはいえ)「すし萬」で「招福巻」「来福巻」を食べてしまい、今年は、のべ3本も恵方巻を食べてしまいました。これで、私の運気は通常の3倍上がったに違いありません。一方で、炭水化物過多ということで、デブ街道まっしぐらでしょう。嗚呼、これが幸せ太りというやつか。
 ※なお、「すし萬」は独りで行ったので、これが本当の幸せ太りなのかは、疑義が残る。

(T.T.)


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2024年1月22日月曜日

著作権法「廃墟写真事件」の廃墟写真1~5と同じ被写体・構図で撮ってみた

 商標弁理士のT.T.です。
 著作権法の有名事件に「廃墟写真事件」(東京地裁 平成19年(ワ)451等)というのがありまして、被告が撮影した次の廃墟写真1~5を「廃墟遊戯」「廃墟漂流」といった被告写真集に掲載したところ、同じ被写体・構図で撮影された原告廃墟写真の著作権(翻案権等)を侵害しているとして、訴えられた事件です。 

1.旧丸山変電所の建物内部

2.足尾銅山付近の通洞発電所跡(建物外観)

3.大仁金山付近の建物外観

4.奥多摩ロープウェイの機械室内部

5.奥羽本線旧線跡の橋梁跡

※原告・被告写真の実物は、「「廃墟写真事件」は何が問題だったのか? 創作活動における著作権の判断ポイント - BUSINESS LAWYERS」をご参照ください(https://www.businesslawyers.jp/articles/46)。

 東京地裁は、廃墟を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではないとし、また、原告写真1~5における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできないといった理由から、著作権(翻案権等)の侵害を認定しませんでした(控訴・上告も棄却)。

 

 さて、「廃墟写真事件」の判決に従うならば、私だって、単に、原告と同じ構図で同じ廃墟を撮ったとしても、著作権侵害にはならないはずです!そこで、事件発生後10年以上経過してしまいましたが、争われた1~5の廃墟たちが現在どうなったのか、原告・被告と同じ構図で撮ってみることにしました。 

■廃墟写真1.旧丸山変電所の建物内部(群馬県安中市)
 「旧丸山変電所」は、JR信越本線・横川駅から、信越本線廃線跡を舗装した「アプトの道」を登り続けること約30分で到着します。

(写真:信越本線・横川駅)

(写真:アプトの道)

(写真:旧丸山変電所)

 高崎駅~長野駅~新潟駅を結んだ信越本線では、特に、横川駅~軽井沢駅の碓井峠越えが、急勾配すぎて普通の列車では登れない難所となっています。碓井峠の急勾配を攻略するため、歯形のレールに電気機関車の歯車を噛み合わせて登る「アプト式鉄道」という方式が利用され、その電気機関車に電気を供給するために建てられたのが「丸山変電所」です。
 しかし、1963年に別ルートを通る新線が開通したことで、アプト式鉄道の旧線は廃止されてしまったため、「丸山変電所」は役割を終えて、そのまま廃墟となりました。

(写真:アプト式鉄道の歯車レール)

(アプト式鉄道の電気機関車)

 丸山変電所は2棟から構成され、坂下側の蓄電池室坂上側の機械室からなり、「廃墟写真事件」で争われたのは、機械室の内部を写したもののようです。
 原告・被告の写真に写された機械室は、屋根が崩れ落ち、痛々しい姿を晒していましたが、現在の外観からは全く感じさせません。それもそのはず、「旧丸山変電所」は、1994年に国の重要文化財に指定されたため、修復されてしまったのです。

(写真:旧丸山変電所の機械室)

 国の重要文化財のため、もちろん、建物内部に侵入できないことから、原告・被告と同じ構図を完全再現はできません。ただし、窓の外から、建物内部の写真を撮ることはでき、左の窓から撮ると原告っぽい構図で撮れて、右の窓から撮ると被告っぽい構図で撮れました。

(写真:原告っぽい構図)

(写真:被告っぽい構図)

■廃墟写真2.足尾銅山付近の通洞発電所(栃木県日光市足尾町)
 わたらせ渓谷鉄道・通洞駅から徒歩5分、「足尾銅山鉱毒事件」で馴染み深い「足尾銅山」ですが、1973年に閉山後、現在は「足尾銅山観光」として、トロッコ列車に乗って坑道内を見学することができます。 

(写真:わたらせ渓谷鉄道・通洞駅)

(写真:足尾銅山観光)

(写真:足尾銅山観光の坑道内)

 「足尾銅山観光」敷地の南西隣にあったのが「通洞発電所(正式名:新梨子油力発電所)」であり、足尾銅山の非常用電力供給設備として、1915年~1954年まで機能していたようです。ところが、崩落が激しいということで、つい最近、20224月に「通洞発電所」は解体されてしまいました。実に惜しい。 

(写真:通洞発電所)

(写真:通洞発電所があった場所)

(写真:原告・被告と同じような構図)

 ちなみに、「通洞発電所」に似た建物に「通洞変電所」というのが近くにありまして、こちらは現役バリバリで、不気味な電子音を響かせていました。 

(写真:通洞変電所)

■廃墟写真3.大仁金山建物付近の建物外観(静岡県伊豆市)
 「大仁金山」は、江戸幕府により開発され、江戸時代中頃からの休止期間を経て、1933年に帝国産金興行()より再開されましたが、1973年に閉山されました。伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁駅から徒歩15分の所にある「大仁金山」跡は、すぐ見つけられますが、「廃墟写真事件」で争われた、今にも朽ち果てそうな木造建築は、どこを探しても見当たりません。本当に朽ち果ててしまったのでしょうか? 

(写真:伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁駅)

(写真:大仁金山)

 T.T.の見立てでは、大仁金山跡正面から左手の坂道を登って辿り着く、2棟のプレハブ倉庫が建つ平坦な場所が怪しいと、睨んでいます。2棟のうち、奥のプレハブ倉庫辺りが、「廃墟写真事件」で争われた木造建築のあった場所と思われます。確かに、木造建築が建っていたと思われる場所に、その土台に使用されたと思わしき石が積まれています(被告写真集「廃墟遊戯」25頁でも同じ土台石っぽいものが確認できる。)。 

(写真:坂道とプレハブ倉庫)

(写真:原告・被告と同じような構図と思わしき場所)

(写真:土台石と思わしきもの)

■廃墟写真4.奥多摩ロープウェイの機械室内部(東京都奥多摩町)
 「奥多摩ロープウェイ」は、JR青梅線・奥多摩駅からバスで3040分の西奥地にあり、奥多摩湖対岸の「川野駅」と「三頭山口駅」を横断するロープウェイとして、19621966年の4年間のみ営業され、現在まで放置されています。 

(写真:JR青梅線・奥多摩駅)

(写真:奥多摩ロープウェイの支柱)

 「廃墟写真事件」で争われた機械室は、「川野駅」のもののようですが、現在では完全立入禁止となってしまい、撮影不可でした。 

(写真:「川野駅」の最寄バス停・中奥多摩湖(川野))

 対岸の「三頭山口駅」は、一応、近づけるようですが、下手な登山道よりも整備されていないため、来る際は自己責任です。「三頭山口駅」にも、確かに、「廃墟写真事件」で争われた「川野駅」と同じような機械室がありました。

(写真:奥多摩ロープウェイ・三頭山口駅)

(写真:三頭山口駅の機械室)

 ■廃墟写真5.奥羽本線旧線跡の橋梁跡(秋田県大館市)
 福島駅~山形駅~秋田駅~青森駅を縦貫する奥羽本線ですが、陣馬駅(秋田県)~津軽湯の沢駅(青森県)の県境越え区間に、旧線跡があります。現在では、山の中を矢立トンネル(3180m)が県境を真っ直ぐ突っ切りますが、1970年まで存在した旧線では、急勾配の矢立峠を登って県境を超えており、その橋梁やトンネルの跡を今でも見ることができます。

(写真:奥羽本線旧線・旧第二下内川橋梁跡)

 「廃墟写真事件」で争われたアーチ状のレンガ造り橋梁跡は、「旧第一下内川橋梁跡」と呼ばれるもので、JR奥羽本線・陣馬駅から、国道7号線に沿って北上すること約30分で到着します。

(写真:奥羽本線・陣馬駅)

 ただし、「旧第一下内川橋梁跡」は、2006年頃、その上に国道7号線の新道(新下内橋)が造られたことで破却され、跡形も無くなってしまいました。原告・被告の写真っぽい構図で撮るためには、新道(新下内橋)から右に逸れた旧国道7号線の橋(下内橋)を渡り終え、すぐ左手の未舗装脇道から撮影できました。

(写真左:国道7号線新道(新下内橋)、写真右:旧国道7号線(下内橋))

(写真:原告と同じような構図)

(写真:被告と同じような構図)
  

 

 以上のように、「廃墟写真事件」で争われた1~5の廃墟写真スポットを訪れましたが、廃墟の消滅(2.足尾銅山の発電所、3.大仁金山の建物、5.奥羽本線旧線の橋梁)や立入禁止(4.奥多摩ロープウェイ・機械室)により、撮影できたのは「1.旧丸山変電所」だけでした。その旧丸山変電所も、国の重要文化財として修復されてしまいましたから、原告・被告の写真をそのまんま再現することは不可能でした。
 つまり、「廃墟写真事件」の原告・被告の写真と同じ被写体・構図で撮れるスポットは、実質ゼロです。

 ところで、著作権法の原則として「額の汗は保護しない。」というのがあります。「廃墟写真事件」のように、廃墟に行って写真を撮るだけの行為は、私自身も、公共交通の乗り遅れや怪我に注意したぐらいで、特段脳みそは使わなかったので、典型的「額の汗」として、身をもって著作物性がないことを体感することができました。

 そもそも、廃墟写真スポット1~5は、高地や雪山で寒かったり、心霊スポットや未整備の道で肝を冷やしたので、額に汗はかけませんが。

(T.T.)


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